サッカー

Mar 16, 2010

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このブログも会社を休止した今や個人的なブログだと僕は思ってます。それなんでサッカーの事とかも書いてみようと思ってます。(あっ!タイトルに会社名残ってる。。。)

僕はキャプテン翼世代で翼君と同時くらいにサッカーを始めました。町のサッカー少年団でサッカーの楽しさを教わりました。それで中学は普通は部活なんだけど、僕はクラブチームに所属しました。当時はまだクラブチームなんて遊びのサッカーと思われていた時代です。それで高校もそのクラブのユースチームへ。当時このクラブのトップチームは神奈川県リーグの1部に所属してました。関東リーグ目前というところでした。

僕の高校時代は高校選手権まっさかり。高校生はみんな1つの大会の為に一年生からがんばってましたね。僕らはクラブチームだけのリーグに所属してました。相手は読売(ヴェルディ)、日産(マリノス)、できたての日立(レイソル)、フジタ(ベルマーレ)、全日空(フリューゲルス)のユースと同じリーグでした。この時代の読売には上にあがった選手が沢山いました。余談ですが当時の読売の監督は松木安太郎でした。リーグなので毎週試合がある。負けても次が有る。そんな環境なので1年中真剣な試合をしてました。それと共に地元の社会人リーグに参加もしてました。東海大学が近所なので東海大学のサークルが多かったです。助っ人で田坂とか磯貝がプレーしてたりとても面白かったです。

もちろん僕もやるからには上を目指していましたが、やはり現実に突き当たり断念します。神奈川県リーグでは少しだけプレーしたのですが、その時は車をいじる事が趣味になっていたので徐々にサッカーから離れて行きました。そして時は経ち30歳を境にもう一度サッカーをやりたくなり復帰をすることに。僕が所属していたクラブはピラミッド型(今では当たり前ですね)なので引退した選手も楽しめるシニアというカテゴリーがありました。そこで毎週土曜日今でも楽しんでいる訳です。実は35歳の現在でもトップチーム復帰を考えている。

やっぱり好きなんですね。サッカーが。僕らはクラブチームで個人のレヴェルを挙げる事に重点を置いた練習をしてました。コーチはブラジルでプロになったKさん。(ビザが降りずにプロ断念)完全なブラジルサッカーです。それと面白かったのが、当時僕の住んでいる秦野市は沢山の外国人労働者がいて、その人達がクラブにサッカーをやりにくる、その中にはイラン代表のキーパーとかグレミオでサッカーしていたブラジル人とかいてレヴェルが変な意味で高かったのです。
高校時代に体力より技術に重点を置いて練習をしていたので足下の技術はみんな凄いレヴェルでした。この時の体験があるから今でもサッカーができると思ってます。体力は衰えたけど足下の技術は衰えない。だからまだまだやれるのです。クラブ自体がパスを繋ぐサッカーが理念なので、すべてのカテゴリーを通じて同じサッカーをしています。だからシニアでも同じスタイル。もちろんメンバーも当時から変わらない人達。復帰しても直ぐに馴染めました。

僕は今日本のサッカー最大の危機だと思ってます。Jリーグが出来たときの盛り上がりが無い。やはり代表が盛り上げてくれないと。スペインのサッカーを目指すとかいうけど、たまたま今回のスペインは体が小さいだけ。小さいけど体の根幹の強さは半端じゃない、体格だけ似てるからって簡単にいっちゃだめだよね。それとやはり国自体のサッカーへの環境が全然違う。そういう事も踏まえないと。ど~してもスペインを目指したいのならスペインを知る人を監督にするのがいいんじゃないかな。無理だと思うけどクライフとかにオファーしてみればと思う。他にもスペイン人でいい人沢山いるわけだし。それ以外にもスペインを知る人沢山いるんじゃないかな。城彰二とか解説聞いてると落ち着いてるし大穴でありかなと思ってる。(資格がないか)

それでユニフォームはナイキに変更してもちろんデザインはsoph 清永さんで。